マルジンマン日記
マルジンマンのマルジンマンによるマルジンマンのための日記。 立会うぜ密林を!施工するぜ絶壁を!! 道なき道をレールでつなぎ、心と心を気合でつなぐ、 そんなマルジンマンの日常をお楽しみ下さい♪

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死んだらどこかへ飛べるのだろうか・・・?


富山の射水病院の外科部長が7人の患者を殺人で「死亡」させたのではないか?という事が話題になっている。
一生に一度しかない誰しもが持つ機会「生と死」。
治る見込みの無い患者の人工呼吸器を止めることが「殺人」なのか「安楽死」なのか「尊厳死」なのか…非常に判断しにくい部分だろう。

「人工呼吸器」それ自体「自力で生を持続できない」のだから延命措置ともとれるかもしれない。
「本人に確認を取ったか?」「家族に了解を得たか?」
それこそ本人が「人工呼吸器をつける事は拒否します」とでも言えばだが、なんとか生きようと必死な患者に「あなたはどうしますか?同意書をください」と言えるかどうか…?。
家族には普通 同意書まではいかなくても「延命措置」については話があると思う。(実は筆者も経験がある)
ただその「延命措置」というものの取り方だが、「心臓が止まったら、電気ショックやカンフル剤など投与するかどうか?」という説明だった。「人工呼吸器」がそれにあたるかどうかは よほど家族と踏み込んだ話があってしかるべきだろうと思う。
医師は同僚にも患者にも大変好かれていた人らしい。何かの思いがあってその行為に及んだのであろうが…これからも色々と物議をかもしだすであろう事件である。

今月初め亡くなられた マルジンと繋がりの深い税理士様は最後を自宅で迎えられた。静かに息を引きとられたそうである。
昨日 20代の知人が「手術不可能な脳腫瘍」で国立の最先端医療の病院から「もううちでは何もできることはありません」という宣告を受け 転院先の郷里の病院で亡くなった。むろん人工呼吸器で生命を維持していた。

最後の「転院」これも聞こえは良いが 転院先の最終治療費はポイントが非常に高いそうである。だから転院を勧めるとか…。「近くで看取ってあげてください。」「完全看護とはいえ、できればご家族がついていてあげてください(結局、完全看護ではない半ば強制的となっている)」など、なんだか腑に落ちない現実も見え隠れするが…弱きもの、すがることができるのは「担当医を信じること」だけ…。

マルジンにも交通事故で若くして逝ってしまった青年がいる。みんなの下駄箱の上に写真が置いてある。通るたびに声をかけたり「今日も無事を見守ってね!」と花を飾ったりして いっしょに歩いているそんなつもりだ。
「死」というのは残酷だ。思うことだけで彼に触れる実体はほんとうにその日を境に無くなってしまうのだから…。
どんなふうに「死」を迎えようか…やはりしっかり向き合って考えてみたいテーマである。
素町人@思案橋
「富山の射水市民病院のニュース」に関するクイズを作りました。
「尊厳死と安楽死。ふたつの違いがわかりますか?」という記事です。
問題は、状況を設定し、もしあなたが医師だとしたら、どんな行動をとるかを問います。
回答の選択肢が5つあります。
答えは→ http://q-q.at.webry.info/200603/article_94.html
他にも500問ほどのクイズがあります。退屈で死にそうな折りにどうぞ。
(ご迷惑でしたら、お手数ですがコメント、TBの削除をお願いします)
2006/03/28(火) 10:08:14 | URL | [ 編集]
三度の飯が好きなサッコ母 
どのような死を迎えるか。
まだよくわかりません。
ただ一つわかるのは、残された者達が精一杯生きていく事、それが先逝った人への供養だと・・・。
だって、先に逝ったサッコ父は、49日を境にちぃ~とも夢にも出てきません。
この世で ご飯バクバク食べている私たちを安心したのか呆れたのかはわかりませんが???
2006/03/28(火) 13:05:44 | URL | [ 編集]
マルジンマン
射水病院の外科部長も、来年の今頃になればどこかの病院で患者に愛されておられるかもしれないし、このことがトラウマになり堕ちていった底辺でのた打ち回っているかもしれません。

さらに時間だけは誰しもに平等に与えられます。何十年後に「死」にはもっと色々な名前がつけられているかも知れませんね。
さっこちゃんのパパは「自分じゃ死んでないよの死」かもしれません。もしかすると毎日そばで「食いすぎチェック表」をつけているかも・・・。
見えないのだから誰にもわかりません。
2006/03/31(金) 10:00:07 | URL | [ 編集]










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